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ピアノ

嘉屋翔太

SHOTA KAYA

「自分の聴けていない音は決して相手に伝わらない」

アーティストとしての私

嘉屋翔太

ピアノ

開成中学・高等学校を経て東京音楽大学に特別特待奨学生として進学、首席で卒業。高校在学中の2017年、ウィーン国立音楽大学に短期留学しディプロマを取得。第43回PTNAピアノコンペティションPre特級金賞、同47回特級入賞をはじめ、多数の国内コンクールで入賞を重ねる。 大学在学時に第10回フランツ・リスト国際ピアノコンクール(ワイマール)優勝、最高位と同時に聴衆賞、サン=サーンス最優秀解釈賞を受賞。ピアニストとしての視点に留まらず、室内楽や管弦楽作品への造詣の深さにも定評がある。 チューリンゲン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする国内外のオーケストラとの共演等、ソリストとして精力的に演奏活動に勤しむ傍ら、室内楽も好評を博す。また、雑誌『月刊ピアノ』・TV『踊る!さんま御殿‼︎(日本テレビ)』『ベトナムのひびき(NHK)』他、各種メディアへの出演多数。同時に教育分野からも注目を集め、音楽と普通教育における横断的な活躍が期待されている。2024年より嘉屋翔太ピアノ教室を開校。 これまでに石井克典、菊地裕介、佐藤彦大、武田真理、ファルカシュ・ガーボル、ギグラ・カツァラヴァ、故野島稔の各氏に師事。2022-23年度ヤマハ音楽支援制度奨学生。シャネル・ピグマリオンデイズ2023参加アーティスト。タクティカートクラシックス所属。嘉屋翔太ピアノ教室主宰。

音楽研鑽歴

2013

開成中学校 入学

2016

開成高等学校 入学

2019

東京音楽大学 ピアノ演奏家コース・エクセレンス(特別特待奨学生) 入学

2023

東京音楽大学 ピアノ演奏家コース・エクセレンス 首席卒業

音楽活動歴・入賞歴

2017

第41回PTNAピアノコンペティションG級銀賞・洗足学園前田賞

2019

第43回PTNAピアノコンペティションPre特級金賞

2021

第10回リスト国際ピアノコンクール(ワイマール)優勝・聴衆賞・サン=サーンス最優秀解釈賞

2022

CD「Voice of Liszt」リリース

2023

シャネル・ピグマリオン・デイズ・アーティスト2023選出 第47回PTNAピアノコンペティション特級入賞

2024

嘉屋翔太ピアノ教室 開校 デビューリサイタル(王子ホール)開催

私の人生

2003

2歳の頃ヤマハ幼児教室に通い、先生の弾くピアノに興味を持ちました。ピアノの個人レッスンを受けるようになったのは3歳ですが、物心ついた頃にはピアノを弾いていました。

2010

映画『アマデウス』を観てハマったのがモーツァルトの『レクイエム』。実はモーツァルトの名前が「ヴォルフガング・アマデウス」であることはこの映画で初めて知りました。笑

2012

受験のために1年間、ピアノのレッスンを休む。家のピアノの蓋を一度も開けることはなく、その代わり小学校の音楽室に毎昼休み忍び込んでいました。同級生や下級生たちに囲まれながら弾いたのは良い思い出です。

2013

6年間の男子校生活が開幕。ヴァイオリンとピアノの二刀流を夢見て管弦楽団に入部するも、担当はコントラバス。全音符で13小節続く「ド」の前に屈し、室内楽に傾倒。しかし周りの音を聴かず暴走するピアノパートを繰り広げ先輩に指導される。

2015

恩師の勧めもあり、同志を集めて『開成ピアノの会』を創設。今や文化祭随一の注目度を誇る部活動になりましたが、最初は他団体との共同枠でした。

2016

管弦楽団では学生指揮者を務めることに。室内楽の経験も徐々に積み上げ、自信をつけていった一方で、様々な意思を持つ演奏者たちを束ねるのは別問題であると気付かされます。「オーケストラは社会の縮図」という表現がありますが、まさにその難題に直面した時期でした。 家に帰ると合奏中に溜まったもどかしさを自分の10本の指に託し、ピアノに対する情熱に変換して練習していたものです。

2017

ウィーンに短期留学へ。楽友協会での出会いから帰国後アマチュアオーケストラの創設に関わる。そのご縁で指揮の山上紘生さんとピアノ協奏曲で何度も共演させてもらいました。さらには来日したゲヴァントハウス管弦楽団の奏者と共演させてもらったり、良い経験だったなと思います。 音大の受験を決めたのは、この年の夏のことでした。

2018

「東京音大で特別特待が取れなければ、東大に行きなさい」 今でもお世話になり続けている武田真理先生からのお言葉です。受験勉強を半ば捨ててピアノに打ち込んでいた自分にとって、覚悟をより一層固める契機になりました。運動会を終えた後、友人たちが必死に勉強に打ち込むのも見ていたので、分野こそ違えど自分も負けられないなと感じましたね。

2019

東京音楽大学に入学。入学式の答辞で以下のように述べたことを覚えています。 「澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の現代社会において、音楽家の成し得る責務を模索し…」 日本を代表する大作家の著作から引用したものですが、もし出典がわかった方は是非お声掛けいただきたいと思います。 大学では「ちょっと何言ってるかわからなかった」という会話を幾度となく繰り返すことになりました…

2020

コロナ禍の時期、人に会えない半年は永久に続くかのように思われました。他人と会って話すのが好きな自分にとって、対面ではない音楽には音楽家として生きる価値を見出せず、今までで最も「なぜ音楽をやっているのだろう」と苦悩した時期でした。この年の後半から野島稔先生に師事することになります。

2021

かつての自分はピアノにオーケストラらしさを求めていました。もっとピアノでオーケストラのような響きを、力強さを、壮大さを。そういう意味でオーケストラは、自分にとって最大のインスピレーション源でありながら、呪いのように付きまとう存在でもあったのです。 その呪縛から解放されるきっかけが、野島先生の教えでした。「自分の聴けていない音は決して聴き手に伝わらない」。ピアノという楽器を最大限に活かす探求に注力するようになりました。

2021

年度初めに門下を移動したこともあり、オープンマインドな新生活をスタートしました。最も充実した学生生活を送っていたように感じます。締切ギリギリでリスト国際コンクールに応募し、日本音楽コンクールへの出場をキャンセルしてドイツへ。高校以来の海外渡航を楽しみつつ、自身の最大のレパートリーであるリストのコンクールを制覇。この年の最後に野島先生から門下生として認めてもらうことができました。

2022

大きく生活が変化した年。冬休み直前からダイエットを決行し、半年で26kgの減量に成功します。当初は多少痩せたいと思い始めたものの、70kgを切ってもなお減る体重に面白みを覚える日々。春休みが明けて大学へ行くと、すれ違っても気づかれないほどに風貌が変化しました。コンサートの数も増え、TVへの出演・雑誌の取材など今まで知らなかった世界に足を踏み入れることになった一年でした。

2023

年始に参加した国際コンクールで納得のいく結果が出ず、「ファイナルに進むプログラム作り」に興味を抱きます。各コンクールが締切を迎える中まだ申し込みが間に合ったのがPTNA特級。環境に左右されずファイナルまで到達するプログラム構成を試すべく駆け込みで申し込み、8月末まで走り抜けたのでした。このファイナルを機にタクティカートに所属。 また、年間を通じてシャネル・ピグマリオン・デイズ・アーティストとして活動。このシリーズだけでおよそ300分のレパートリーを開拓する意欲的な取り組みでした。

2024

「誰にでも再現可能なピアニズムを確立し、次世代に継承する」というのは、遥か昔からの理想でした。その構想を実現すべく、6月に「嘉屋翔太ピアノ教室」を開校。7月にはデビューリサイタルと称して王子ホールでの演奏会を開催。

歩みたい未来

私の想い

嘉屋翔太:音楽家として歩む未来

嘉屋翔太:音楽家として歩む未来

あらゆるディテールを味わい、文化の良さ、その価値がわかる人間になる…そして最終的に、その文化の一部になることができればと願っています。 「演奏」というのは、何が人に影響を及ぼすのか、どう人生を豊かにするのか、と考えたときの一つの表現方法だと思います。音楽家でなければどのような職業になっていたか、という質問に「政治家になりたい」と答えたことがあります。人に良い影響を及ぼすためには、自分の中にある哲学に基づいて表現する必要があると思いますが、その表現方法は政治でも音楽でも、要はスピーチでも演奏でも変わらないと思っています。 耳当たりの良い曲を聴いて、「あの人の演奏好きだった」と思ってもらえるのはもちろん嬉しいことです。しかしながらピアニストとしての究極の目標は、その背景にある音楽そのものが人生を豊かにするものだった、と記憶される表現に達すること…すなわち「その曲の何が良いのか」を伝え、共有することなのです。 だからこそ、「ピアニスト」で終わってはいけないと考えています。「弾き手」であるだけでなく「作り手」としての視点を持つ…総合的な「音楽家」になってこそ、この目標が達成されるはずだと信じて、日々の探究を続けています。

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